1泊2日という短いスケジュールの夏のトレーニング合宿は・・・ペットを受け入れてくれる、ロングアイランドのファイヤー島にあるチェリーグローブビーチで行われた。ニューヨークの夏は暑い。日本ほど湿気は高くないが、厳しい時はうんざりするほどだ。初めてフェリーに乗った武蔵は最初こそ興奮していたが、トレーニングのお陰ですぐに慣れておとなしくなった。合宿と言ってもほとんど親睦会に近いもので、トレーニングを受けている犬と飼い主達の思い出作りのようなものだ。専任講師のマイクは今回の合宿に家族を連れていた。魅力的な妻と可愛らしい女の子・・・親子で並ぶ姿は、月子の密かな愉しみを一瞬に奪い去った。これで良かったのだ。月子は今回のことでむしろ安心した気持ちになった。 

昼間に思う存分遊びを入れたトレーニングをした。日差しが強かったからか、少し疲れた。宿泊先は、ビーチから歩いた所にある大邸宅を改造したスクールの保養所で、家庭的な雰囲気が素敵だ。月子は夕食までの時間を海が見えるテラスでぼんやり過ごすことにした。

武蔵は仲良くなったボクサーのジュリアと遊んでいる。平和なひと時だ。波の音、夕焼け、犬の遊ぶ姿、このまま時が止まって欲しかった。それにしても、マイクが家族を連れてくる話は聞いていなかった。彼は月子の気持ちに気づいていたのだろうか。わからない。もし全ての出来事に意味があるとしたら、月子にとっては縁の無い相手だったということだ。


夕焼けの燃えるようなオレンジ色が海の表面に鮮明なグラデーションを見せていた。それを見ながら月子は思いをめぐらした。このビーチの波は両親のいる町の海辺にも続いているだろうか。この波に乗っていけば自分が行きたいところへ辿りつけるだろうか。夕方の波の静かな音は耳に心地いい言葉のように響いた。

この夏が終わり、秋になれば26歳になる。トレーニングを終え資格を取ったら帰国してもいいと思った。武蔵はいつのまにか穏やかな顔で足元に寝そべっていた。


 

大型犬を室内で飼える賃貸マンションは当時の東京には皆無に等しかった。ある程度覚悟はしていたが、物件を捜し歩くのがうんざりした。そんな中、やっと物件を見つけた。小田急線の鶴川だった。2LDKの広さ、不便な小高い丘の途中ににある不便なマンションだったが、大型犬を室内で飼っても構わないということで迷わず契約した。月子はそこから毎朝虎ノ門にある会社まで通うことになった。

正社員の仕事は2つ決まってはいたが、あまり拘束されない状況で働きたかった。それで、派遣で働くことにした。両親は結婚して家庭でのんびりして欲しいと口うるさく言ってきたが、月子は結婚には全く気持ちがなかった。

小田急線の満員電車には驚きとショックを受け、会社での面倒な人間関係にも神経をすり減らし、月子は次第にストレスがたまっていった。加えて不便な場所での不慣れな生活、大好きな海もなく、ボストンのような文化の香りもない。室内で大型犬が飼えるという理由だけで選んだこのマンションと町に、もはや何の魅力も感じることができなくなっていた。

武蔵は留守番をする時間の長さと孤独に耐えられず、気づけば円形脱毛症になり、無駄吠えが増えていた。残業の日は帰宅時間が夜中になり、近所の空き地での散歩が日課になり、時間も15分程度。武蔵の運動不足は激しくなり、月子は心底悩んだ。武蔵にとって東京のマンションで生活することは幸せではない、そう思った。


断腸の想いで結論を出し、武蔵を祖父母の家に移り住んでいる両親に引き取ってもらうことにした。こんな状況になった今、日本に戻ってきたことが果たして正しかったのかと問われれば自信がなかった。武蔵にとってはアメリカにいたほうがはるかに幸せだったかもしれない。だがあの時の自分には他の選択肢はなかった。

鶴川から吉祥寺に移った。妹が近くにいるということも選んだ理由だが、吉祥寺の街の明るさ、活気、文化の香り、躍動感、全てが鶴川には無いことが大きかった。井の頭公園から歩いて3分ほどのマンションだ。鶴川と比べれば断然狭い。その割には家賃も高かったが、武蔵がいない今、広い空間は不要だった。手狭でも良い。働く意欲が沸いてくる生活を送ることができればいいと思った。武蔵に必要な食費代やワクチン代を定期的に仕送りするお金を作りたかったし、まだボストンの大家さんへの借金が半分以上残っていた。ひたすら働き稼ぐしかないと思った。

引っ越後の最初の夏、月子は近所のスポーツジムのプールに出かけた。アメリカでは毎日のようにスポーツをしていたが、日本に戻ってからは何もしていなかった。武蔵がいない今は散歩で歩くことすらなくなっていた。

嬉しいことにプールはガラ空きだった。ひと泳ぎした後、サウナに入った。このジムで唯一嫌なところはサウナが男女別々ではないことだった。いくら水着でも肌が露出された男女が狭い空間にいることは嫌だった。変な緊張を感じるものだ。今日は誰もいないので安心して入った。ところが、すぐに突然ひとりの男が中に入ってきた。内心、月子はドキッとした。つい舌打ちした。せっかくの独りの空間と時間が台無しだ。すぐに出るのも逆にどうかと思案しながら目をつぶって時間の長さを感じていると、男の荒い息遣いが伝わってきた。緊張が走る。そして、男は月子についに話しかけてきた。    

「お住まいは近くですか?」

やだ、話しかけないでよ…と心で思いながら、ついつい社交辞令がすんなり答えていた。

「まあ、近いですね」そこで会話を終わらせるつもりだった。せっかく来たんだからもったいない、あと3分で出るのだ、目を閉じて時間が過ぎるのを待った。

「僕もすぐ近所です。もしお時間あったらこの後お茶でもどうです?」

サウナでナンパ? 信じられない。月子は帰国してからアメリカにいた頃より、男性に関しては警戒心が強くなっていた。理由はわからないが、日本の閉鎖的な空気が自然にそうさせていたのかもしれない。


「ごめんなさい。この後予定があるので…もう時間だから出ないと」

月子は急いで立ち上がって部屋から出ようとした。その時点で普通なら会話は終わり、2人の関係も無縁となるはずだった。ところが、この男はそのシナリオに逆らった。

「さっきプールで泳いでたでしょ? 何かこう良い感じだったからお喋りしてみたいって思って・・・」 

とにかく会釈するつもりで初めて男の顔を見た。何処かで見たことがあるような顔だ。誰だろう。わからないまま更衣室に戻り、シャワーを浴び、シャンプーし、髪を乾かし、着替えてジムを出たのは40分も後のことだった。お気に入りの喫茶店で久しぶりにお茶でも飲んで帰るつもりで受付にロッカーの鍵を返そうとした時、入り口のソファに座っていた男がまた声をかけてきた。

「良かった。また帰るタイミングが合いましたね」 

何なの、まるでストーカーではないか。無視しよう。それがいい。月子は聞こえなかったふりをして外へ出た。

「デートしてくださいよ!」

後ろから大声で叫ばれて周囲にいる人達が間違いなく男と月子に注目した。月子は大声を張り上げた男の声と顔で突然ある人物を思い出した。子供向けの何とかマンとかいう正義の味方に対抗する悪役で出ている、そう、あの声がやたら大きい役者だ。実は月子はその番組が好きでこっそり観ていたことがあった。だからその顔を覚えていた。そういえば確か吉祥寺に住んでいるとか言っていた。

「あなた、もしかしてあの悪役の人?」

月子がそう聞くと男は笑顔で答えた。

「悪役ほど良い人はいないって有名な話、知らないの?」

まさかこういう成り行きになるとは思わなかった。最初はストーカーみたいな男だと思った。その相手が恋人になるのだから人生はわからない。結局、彼のストレートな言葉に最終的には落とされたようなものだ。言葉が月子の中にこれほど力強く食い込んでくるものだとは思わなかった。

その後、虎ノ門の仕事から某テレビ局内プロジェクト専用の翻訳に仕事が変わっていた。翻訳といっても、社内翻訳、あくまでも社内で必要な資料の翻訳が専門で、公式な社外向けの資料を翻訳することは無かったが、仕事に対する意欲が以前よりは沸いていた。収入面も少しだが増えて借金の返済はあるものの、生活にも多少ゆとりが出てきた。武蔵に仕送りする分のお金は勿論、必要なドッグフードは定期的に購入しては両親の所へ送ることも出来た。一方、彼のほうはまだ目立たない役者で、収入面はかなり不安定だった。

吉祥寺のアパートもお風呂とトイレは付いてはいたが、部屋にはほとんど何も無かった。変だなと思っていら、実は、彼の実家は近所にあり、ほとんど形だけのひとり暮らしだったのことがわかった。デートは彼のお気に入りのワゴン車でドライブをするか、映画を観るか、ジムで一緒に身体を鍛えるか、同じようなパターンで変化が無い状況のまま付き合いは続いた。

そんな中、突然彼の仕事にひとつの光が見えてきた。時代劇である役をレギュラーでやる話が入った。月子はそれを心から喜んだ。だが、そのことは同時に2人の間に距離を作ることにもなった。京都にしばらくの間移住することになるからだ。当然淋しくはなるが仕方がない。離れてからは電話でのデートがほとんどだったが、そのうち仕事柄話せる時間帯のタイミングがだんだん合わなくなっていった。月子も淋しさを紛らわせる意味もあり、次第に、毎日の翻訳の仕事により多くの時間とエネルギーを割くようになっていった。

「愛に距離は関係無い」と誰かが言った。遠距離で駄目になる関係ならそれは最初から縁が無いのだと思う。月子はチェリーグローブビーチの夕焼けをふと思い出した。  
           
誕生日の朝、鏡を見ながらこれが29歳の顔かとしみじみ思った。月子は自分が29歳になったとは信じられなかった。何だかいろんなことが中途半端なままで20代最後を迎えてしまった。それが悔やまれた。

昨夜の夢に武蔵が登場した。舞台は海辺で、何頭もの犬達と飼い主達にトレーニングをしている講師が月子自身だった。

夢から覚めて、何故かひどく落ち着かない気分になった。あの時、進路のことで迷っていた月子に「どんな仕事に就くべきかが問題では無く、どんな生き方をしたいのかを考えることが大切だと、僕は思いますよ」アドバイスをくれたジョン・ギアの言葉が突然耳元で蘇った。わからないけど、今の自分自身がとても中途半端な気がしてならなかった。 

アメリカにいた頃より最近の月子は何かにつけ迷いやすく、優柔不断になっていた。派遣の仕事で関わっている翻訳にも時に物足りなさを感じることがあった。若さもあったのだろうが、もっと何か自分の持ち味を生かせる仕事はないのか。しばらく悶々とした日々を過ごした。 

5ヶ月後の春、テレビ局時代の知り合いの紹介で某プロダクションの採用試験を受けないかと勧められた。ラジオやレポーターの仕事があるかもしれないと言われた。20代最後だから何にでも挑戦してみようと思い、受けてみたら予想外にも合格した。楽勝だと思っていたら、実際の仕事には全てにオーディションがあり、月子には結局縁が無かった。というより、その熾烈な世界で戦っていくほどの意欲が沸いてこなかった。結婚式の司会の仕事なら何とか得られたが、結婚そのものに興味が無かったから魅力を感じられなかった。

事務所のマネージャーからは、ボイストレーニングも必要だからと講師を紹介された。何度かボイストレーニングに通っていくうちに、今度は講師から度胸をつける目的と声帯を鍛えるために知人が運営する小劇団でのレッスンを強く勧められた。月子は、とにかく何でもやってみようと思い、小劇団のメンバーに参加することにした。中にはタレント志望の人も何人かいたが、ほとんどがテレビか舞台の役者を目指している人達の集まりで、稽古場は真剣な空気に包まれていた。月子は派遣で翻訳の仕事を続けながら、土日を中心に稽古に通った。最初は稽古場の掃除、全身運動でストレッチ、発声練習、テキストの読み合わせ、整理運動、掃除の繰り返しだった。

稽古場は汗臭く、夏場は熱気でその臭いが鼻につくこともあったが、それにもだいぶ慣れてきた。

秋になり、月子の所属するクラスの発表会が行われた。月子は準主役で娼婦の役だった。自分でも不思議なほど役にのめりこんだ。多いセリフも間違えることなく覚え、公演の後の評判も上々だった。だが、月子は小劇団を離れた。そのまま次のクラスに入ることも勿論可能だったが、役者を目指すわけではなかった。あくまでも別の目的だった。

今回の経験を通して月子は確実にわかったことがあった。共同作業は人一倍向いていないということだった。舞台の直前までひたすら決まり事と共同作業の連続だった。月子はひとりで完結できることのほうが自分には向いていると確信した。

セリフに関しても、講師と対立する事が度々あった。オリジナルの脚本を脚色した舞台用のセリフで納得できない個所があると、月子は講師に問い詰めた。観客に向ける言葉を大切にしたかった。だから心に響かないような不自然なセリフには妥協できなかったし賛同したくなかった。月子が食いかかるたびに稽古場が緊張の空気に包まれた。それは共同作業の場には何よりも敬遠される行為だったのだ。

役者になるより、セリフを考える、言葉を考える脚本のほうにより興味を抱いた。言葉の世界に固執した。公演が縁で、舞台の脚本を副業で書いている某制作会社のプロデューサーと知り合いになった。都内の小劇場でクリスマスに小さい公演があるというので観に行った。簡素な舞台だったが、テーマが深く、舞台構成が素晴らしかった。 月子はこれをきっかけに舞台の脚本の世界を覗いてみようという気持ちになった。