30歳になった。久しぶりに事務所に顔を出したら、六本木にある某大手劇団の演出家を紹介された。脚本の勉強のためにと特別計らってくれた。 A氏は海外で認められた脚本を日本向けに翻訳して、さらに脚色し、演出までを全て独りでやれる人だった。A氏は月子の熱意がどれほどのものかを確認するためか初回から課題を出してきた。海外の脚本を2ヶ月間で可能な限り読むこと、舞台を予算の許す限り観ること、その2つだった。

その頃、派遣の仕事が外資系の秘書業務に変わった。翻訳は以前ほど多くは求められず、秘書の仕事には何ら魅力を感じることはなかったが、生活のためにはやむを得ないと割り切った。その分、月子はA氏から出された課題に集中した。

海外の脚本は普通の本屋で見つけることは意外に困難で、専門の本屋に行くしかなかった。だが、購入するには金額が高すぎた。そこで、図書館で借りて読むか、無いものはA氏に直接お願いして借りた。今のようにインターネットがあればいくらでも入手方法はあっただろうが、当時は入手できる手段が少なかった。舞台もお金のかかる話だったので、大きな舞台は経済的に無理があったが、小さくて安いものはできる限り足を運び観るようにした。約束の2ヶ月後、A氏の指定する喫茶店で会うことになった。

正直なところ、どんなことを確認されるか内心怖かった。だが、驚いたことにA氏は特別月子に課題の確認をしようとはしなかった。むしろ課題とは全く無関係の俳優の話とか、話題の映画の話が中心だった。だが、最後に静かに問いかけてきた。

「ところで月子さん、現在の脚本への気持ちはどうですか?」 

月子にはこの質問が妙に胸に突き刺さった。意欲だけに突き動かされていた2ヶ月前とはあきらかに違っていた。脚本の世界を勉強するには当然まだまだ時間を要するが、舞台用に脚色するための翻訳がいかに大変か少なからず痛感していたのだ。今までは会社の中で、関わる業界用語とある程度指定された専門用語を踏まえた上での、パターン化した翻訳業務に関わっていた。時間とそれなりの知識と慣れがあれば、ある程度は誰もができる翻訳の世界だったと思う。だが、脚本の場合は、原作をしっかり読みこなし、基本的には忠実に、一方では日本人観客の心理や日本という文化背景等を充分に考慮し、念頭に置きながらの翻訳と脚色作業になる。調べなくてはならない言葉が星の数ほどあるし、言葉をあらゆる角度から駆使しなければならない。

月子には経験をしたことがない、未開の分野だとあらためて実感した。中途半端な気持ちではとてもできない。今の自分にどのくらいの気持ちがあるのか、正直なところまだ何も具体的に見えていなかった。だから答えに詰まった。

「うまく言えません。脚本の世界はほんの一部しか見ていないですし…」

消え入るような声で月子は答えた。

実は、A氏の目的は別にあったのだと後で感じた。彼は、私が脚本の世界に興味があるか否か、やる気があるのか否かという観点で質問したわけではなかった。月子が与えられた課題を通してこの2ヶ月間に何を感じ、どんなふうに揺れ動いたか、その部分に本当の目的はあったのだ。A氏は専門外で満足な知識も無い人間が、未経験の分野に踏み込む時の右往左往する心の変化に実は注目していたのだと思う。

そう考えるとA氏に対する反発心が多少芽生えてくるが、たぶんそのくらい感情をコントロールできる客観的な姿勢がなければ、文化も言葉も違う脚本を日本人向けに翻訳しさらに脚色するなどという芸当は無理なのかもしれない。A氏が言外に匂わせた本当の意味はこのあたりにあったのかもしれないと、月子は自分なりに分析した。

井の頭公園の桜は美しいシルエットを描き、訪れる人々を愉しませていた。特に夜桜は妖艶さを漂わせ、多くの若いカップルを引き寄せていた。武蔵がいれば散歩の時に夜桜をじっくり眺めることもできたかもしれないが、ひとりで桜を見て歩くのは何だか淋しい気がした。日本に帰ってからは小さいことが何故か気になって仕方がない。結婚は興味の対象外だった。けれど、夢や仕事をさりげなく支えあえる、そんなパートナーならいてもいいと思うようになっていた。            

残暑の厳しいある夏の日の午後。人の波にもまれて渋谷の会場に到着した。場所がわからず迷ってしまい、予定より10分も遅刻しての到着だった。案の定、セッションはすでに始まっていた。行くかどうかぎりぎりまで悩んでいたが、結局来てしまった。月子にとってはヒーリングセッションというものかはよくわからなかったが、何事も経験だからという口癖で、ここまで足を運んだ。

会場はすでに消灯されて中の様子は見えない。ドアに近いところに椅子があったので先ずはそこに座った。静かなヒーリングBGMが流れている中、白いロングガウンを着た女性が何やらマイクを通して静かに囁くように語りかけていた。月子は最初こそ緊張と慣れない場所に落ち着きがなかったが、少しずつその場の空気に慣れ、とたんに身体がリラックスしてくるのを感じた。しばらくしてセッションが終わると、点灯された部屋には思った以上にたくさんの人が集まっていることがわかった。

月子はふと右隣の女性と目が合った。見覚えのある顔。昼のメロドラマで活躍していた女優のTだった。後にワイドショーのコメンテーターでお茶の間の顔馴染みになる前のことだ。話してみると気さくで親しみやすい人で、セッションの後軽く食事をすることになった。Tは女優業より、本を書くとか、自然に触れる生活をするとか、テレビに出るとしてもバラエティとかに方向転換したい、仕事が忙しすぎて大病を患ってからは生き方を変えたくなったのだと言う。話を聞きながら、吐き捨てるように話すTの気持ちが少しわかる気がした。その後時々電話で話したり、食事をしたりする付き合いが始まった。

ある日、Tのマンションに招待されて行くと、いきなりある物を差し出された。昔、Tが海外のある有名な占星術家から入手したというTの一生を占った結果の紙の束だった。見ると1枚にびっしりと英語で書かれてあった。それを月子の手のひらに置いてTは言った。

『翻訳して欲しいの、できれば無料で』

興味深い内容なのは想像できたが、フルタイムで仕事をしている上、脚本の勉強もある。時間がかかるだろう。それに、いくら親しくなった相手とは言え、自分よりはるかに高い収入を得ているTが翻訳を無料でやってくれというのは何か違うと月子は思った。

まずは内容を全部読んでみて、自分にできるかどうかを判断したいと思うと答え、書類をとりあえず預かることにした。じっくり読んでみると意外に難しくわかりにくい。しかも想像していたのと違ってあまり面白い内容には思えなかった。さすがに理由は正直に話せなかったが、自分には無理だからプロの翻訳に頼んだほうが良いとだけ伝えて書類をTに返した。

結局それ以来、以前ほどTとの付き合いは積極的にはなれず、2人の関係は時間とともに自然消滅していった。1年は短く早い。時間の流れが加速化しているのではないかと思えた。月子は32回目の誕生日を迎えた。

縁が無くなったTだが、ひとつだけ月子に新たな縁を残してくれていた。実はTの書類を翻訳するつもりで、占い学校に足を運び、占星術に関する専門用語の下調べをしたことがあった。たった1度だけのことだったが、学長がとても親切な方で月子を個人的に気に入ってくれ、その後も定期的に声をかけてくれることが多かった。そのうち、流れの中で月子は占いの分野にも自然に興味を持ち始め、ひとつだけ選んで勉強してみる気持ちになった。タロット占いだった。コースは1年くらいである程度は理解できるようになると言われた。

タロットは、その神秘性も魅力だったが、何より学長にリーディング能力が先天的に備わっているから、本格的にやればプロも夢ではないと言われたことが理由だった。本格的に勉強すると奥深さに驚かされた。タロットの歴史から始まり、1枚のカードの意味やリーディングの仕方など、勉強すればするほど難しい分野だと思った。脚本とはまた別の意味で大変だと思った。しかし、やってみる価値のある分野かもしれないと、久しぶりの感触を得た。根拠は無いが、何かこの分野で開拓できそうな予感がした。少しずつ勉強してみようという気持ちになった。


学長には後継者の35歳の息子がいた。占いの才能はほとんどない代わりに、経営の才能はあった。だから安心して学校を任せられると話してくれた。ただし、結婚する相手の女性は占いが好きで、できたら占いの才能がある人を選ぶことを絶対条件にしていると言う。その話を月子はもちろん他人ごとのように聞いていた。すると学長が真顔で言った。

「月子さん、うちの息子と結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」 

耳を疑ったが、学長の顔は本気のようだった。いきなりで答えに詰まった。

「私と…ですか?」

学長の息子には会ったことがなかったが、お見合いみたいな形で男性と付き合うことなど想像できなかった。聞けば月子の誕生日と同じだと言う。これには驚いた。学長は月子と息子の誕生日が同じという奇遇さに加え、相性も非常に良いという判断で今回の話を切り出していたのだ。これまでお世話になっていることもあり、無下に断るわけにもいかない。困った。そこで、とりあえず1度くらいは会ってお食事でもしてみましょうと答えておいた。


その日は誕生日。青空で空気が透き通るような美しい祝日だった。どうせ食事会をするならお祝いを兼ねた2人の誕生日にするのがふさわしいだろう、月子からそう学長に提案した。場所は月子の希望で鎌倉に決まった。吉祥寺駅のすぐ近くにある丸井デパートの前で待ち合わせをした。月子は皮のジャケットとロングスカート、それなりに気合を入れた。

待ち合わせ場所に時間通り黒のBMWが到着した。車から降りた学長の息子はダブルのスーツ姿だった。

「はじめまして、隆と言います。母が無理やりお願いしたみたいで…何かすみません」

育ちの良さそうなおっとりした声で挨拶された。

「いいえ、何と言っても誕生日が同じですし…」

答えにならない言い方だったが、他に何と挨拶していいのかわからなかった。

車は東名高速を走り、厚木経由で昼前には鎌倉に到着した。車だと思ったより鎌倉は近いと感じた。雲ひとつ無い晴天のためか、海が本当に鮮やかなブルーに映え、久しぶりに開放感を感じる景色に月子は嬉しくなった。今夜の食事は、隆が決めて予約したSというフランス料理のレストランで、ドライブの途中で左手にその建物が見えていた。昼間は外観に情緒の欠片も無かったが夜にはライトアップされて雰囲気がある。お腹が空いたので、由比ガ浜にある懐石料理の店、御代川で懐石料理をいただいた。

今回はすべて隆が負担するという事前の条件が学長から出されていたので、正直なところ月子は安心した気持ちで食事に集中できた。昼食に6000円を払うことは月子にはあり得なかった。車の中では緊張もあってあまり会話が進まなかったが、少し慣れてきたのか隆は自分の話を始めた。

私立大学で経営を学んだ後、アメリカのオレゴン州立大学の大学院に留学した。毎週のようにテニスをやり、冬はスキー漬け、仕事は父親が経営する不動産会社の1つを譲ってもらい社長をやっていると。いわゆる資産家の息子だった。それだけ恵まれた境遇と、人並みの容姿があれば付き合う相手に困ることはないだろうと月子は不思議に思ったが、隆は何故か今まで特定の彼女ができず、恋人と言える相手はできなかったと照れるように話してくれた。テニス仲間やスキーで知り合った女性はいるが、どうしても特定の関係には至らなかったらしい。

話を聞きながら月子はふと思い浮かんだことがあった。もしかすると占いが足枷になっているのではないか。結婚を意識すれば、その行き着く先には占いの学校の嫁という大役がある、それが通常の女性には重過ぎるのかもしれないと思った。食後に由比ガ浜の海岸を散歩した。

今でこそサーフィンやボードセーリングで賑わう海岸だが、過去には悲しい物語をひっそりと携えている。鎌倉で静御前が出産したという男の子は頼朝の家臣によって由比ガ浜に捨てられたという説があるのだ。海には、長い歴史の中で時代に応じた様々な出来事が秘められている。浜辺に打ち寄せられる波には封じ込まれた幽かな情念が生きているのだ。月子は幽かな言葉が小さく耳に届いた気がした。
                                                    
女の厄年にあたるのか33歳になってから、身体の体調が今ひとつの日々が続いた。あまり気乗りはしないが病院に行くことにした。病院に入った瞬間、健康な身体と心が病気になりそうで月子はとにかく幼少時から病院が大嫌いだった。だが、そんな子供みたいなことばかりも言ってはいられない。勇気を振り絞って検査を受けた。結果は「紹介先の大学病院で要再検査」だった。悪い予感が働いた。もしかして何か大病にでも罹っているのではないか。とにかく再検査を受けるしかない。予定日は2週間先だった。

起爆剤を抱えたままの2週間は長く感じられた。日本の大学病院には失望した。名前だけは立派だが、診察室と待合室がたった1枚の薄い布やカーテンで仕切られているだけ。診察室の中で患者に向かって大声で質問したり、説明したりする医者の声が丸聞こえだった。これほどのプライバシーの侵害は無いだろう。月子は待っている間不愉快になった。自分の事も外で待っている見ず知らずの赤の他人に聞かれてしまうのだろうか。中の看護婦も、声だけは優しいが、決められた時間内で大量の人間を世話していく物理的限界から、本当の笑顔と心からの親身な対応は土台無理な注文なのだと思った。

疲れているのだ、この人達も。本当に看護が必要なのは、案外医者と看護婦達のほうかもしれない。

15分くらい後に診察室に呼ばれた。20代の頃にできた胸のしこりに近いものが左胸の下にできていることがわかった。乳がんを専門にしている青山の病院を紹介され、そこで超音波検査、マンモグラフィー検査をやってもらい、結果は乳腺症の間違いだと知らされ安堵した。20代の頃は時代が時代だったので、生検で、しこりの小片を摘出し、顕微鏡でがん細胞を調べる方法を取ったために身体に傷を残す結果になったが、現在は技術が進歩して検査もかなり楽になっている。ありがたいことだが、胃がん、大腸がん、肺がん、肝臓がんに次いで5番目に死亡率が高い病気になっている事実は怖い。

アメリカにいた頃は食生活が脂っこいものに偏っていた。体重も増えて少し肥満気味だった。そういえば、最近運動不足で体重が5キロくらい増えている。気持ちは若いつもりでも、肉体は確実に加齢しているのだ。今後は毎年の検査をしようと心に誓った。